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2007/5/7. interviewer koji Asada. |
| いつ日本に帰ってきたの? 5年前に。 何年間アメリカで生活したの? 91年の8月1日に渡米してちょうど10年後の2001年8月1日に帰って来ました。 スケートーはいつ始めたの? 20年くらい前から。滑り始めてから3年後ぐらいにアメリカへ渡ってアメリカのスケートシーンにやられてビデオにもやられて、これは行かないと〜みたいな(笑)あとは日本に代理店がなかったころでアメリカでは半額でスケートが買えるっていうのもあって向こうに住んだ方ががっつりスケートができるって感じ。 影響を受けたのはだれ? マットヘンズリー。日本だと川村諭史。あとハッチャキくん。日本の80年代後半のライダーだけどやっぱり影響を受けたのはアメリカのライダーかな。 アメリカの何処に向かったの? カリフォルニア州ビスタ。サンディエゴのビスタ。そこがビデオで一番印象に残った町で、みんなビデオでビスタ、ビスタって言っててここに行かなきゃみたいな。(笑) それで10年間ビスタにいたの? ビスタには一年半いて、そこで当時マットヘンズリーとかダニーウェイとか、あとスティーブオルテガとか H-STREETのライダーとかとも滑る事もできて、それで途中で日本の高校中退して行ったんで〜高校に行かなきゃいけなくなったんで、はじめ語学学校いって、その後ハンティントンビーチに。場所的にはLAのちょっと下、サンディエゴとの中間ぐらい。ビスタ時代にフランクヒラタに会って、彼とよく滑るようになりSMAからサポートしてもらう話をかけてもらい、それが自分のきっかけになり、ハンティントンビーチの高校いってからサンホゼにある語学学校にいってそれでジェイソンアダムスとかティムブラウチとかポールシャープ達と滑ってたりしてましたね。 今までのスポンサーの流れは? Poor House, SMA, Etnies, Trust, Platinum, Emerica, New Deal (flow), Real(Flow), Stealth (Flow), Darkstar Wood & Wheelsかな。 今はスペインのNOMAD Skateboards、ノマドチームのオーナーから今までの10年間のアメリカでの経験をうちのブランドで返してくれないかって言われ、プロのオファーをもらいまだまだ頑張って滑ってますYO! アメリカで得たものは? やはりスケートボードの本物の楽しさを味わったと言うのが自分にとって最高の思い出だったよ。他には英語は勿論学んだけどやっぱり、人との出会い、トップスケーター達との出会いははっきり言って凄く大切だった。そう言う環境で成功した自分の夢が叶えたと言うのは貴重な経験だったね。 カルチャーショックは? 最初の半年はやばかった。英語が通じなくて話したい事とか伝えれなかったのが辛かった。孤独感を感じて寂しかったけどスケートの楽しさのおかげで乗り切れたって感じ。 これからアメリカを目指して渡米する若者達にアドバイスを一言。 やはり、やりたい事を素早くやる。行動力とやる気が大事。 日本とアメリカのスケートの違いは? アメリカ人はハングリー精神が強い。だからアメリカがスケート業界のビジネスの場であってみんなが集まる所。そこで活躍すれば名が広がるし。やっぱ日本はスケートはカッコいいとこだわり過ぎ。それもいいけどもっと楽しさを知って次のレベルに繋げればいいね。日本のトッププロでも海外ではアマチュアレベルだし。日本人ライダーは代理店から物を貰い過ぎで恵まれてる感じがする。実際僕もアメリカに行った時そう言う目で見られたしね。だからまずアメリカの物をもらいたい時は僕みたいに18歳でアメリカの雑誌のチェックアウトに出て欲しい。 今までに出演したビデオは? 約25本出てるけどパートを持ったのはSMAの93年に出たEL NUMERO TRES、サンホセのNC Skateboard shopのMONTAGEとThrasherの三番目のSPONSOR ME VIDEO。後は411のビデオとか。 最近気になる若手は? 上手い奴沢山いるからな〜。だけど自分の中でははっきり言って誰もいないね。でも日本人で上手いな〜と思うのはソウイチ ロ、岡田晋、林せいしょ、山田 晋一。荒畑 潤一 この五人と後、淳之介。スケートを始めたきっかけは? 神奈川に引越ししたら高山 仁と津島 信明がいて、一緒に滑るようになってから東京へ滑りに行く様になったな〜。 最初に乗ったデッキは? パウェルのパーウェリンダー。それに黄緑のデッキテープ。(笑)それでずっとハンドプラントを練習してたな。(笑) じゃ〜最初に覚えた技はハンドプラント? それが結局出来なくて・・・・(笑)・・・・最初に覚えた技はチックタックとGターンとか。 自分の滑りはどう表す? オールランドには滑れないから自分の好きな事だけ滑るスケート。 アメリカでスケートで罰金とられた事ある? しょっちゅう。一万円以上払った事もあるし。 裁判所にも行った事ある? あるよ。一回ちょうど裁判所に行ってた時にSMAのフランク・ヒラタから誘いがあったんだよね。 最近アメリカでブランクデッキで議論が出てるけどどう思う? そうだよね。ブランクデッキの販売でこれからプロが消えて行くって問題だね。だけど実際自分もプロになってそう思う。お互いに上手くやって行ければいいけどマイナスになってればやめた方がいい。 プロの意味は? プロはビジネス。お金をもらうもの。だけど好きな事をやって貴重な経験を重ねて行くのも大切そして認められる事。 日本のスケートシーンを盛り上げるには? もっとハングリーになる事。 これからの目標は? ライダーとして続けていくし、後は自分の代理店Vistas Internationalを通してNomad、Darkstar、Annex trucks、Venture、とBlakholeをサポートしていく事。他にも自分のブランド、ライダー、と周りの人達をヘルプして海外への活躍と日本人の活躍をサポート出来る人間になりたい。(笑) |